運命か自由意志か

アカシックレコード。

授業の中でもお話するんですけど、どう思われますか?

「宇宙の始まりから未来までの記録がある」・・・

 

この宇宙が辿る運命は すでに決められているんだとしたら

私たち個人の動きも すべて予定調和なのだとしたら

頑張っても、頑張らなくても、結局「なるようになるだけ」なのか。

いや、その人が「人一倍努力して成功を手に入れる」のが運命。
という場合もあるし、

やはり、知らず知らずにも、人はみな、定めの中で生きてるのでしょうか

 

星の動きから予測される傾向もあるわけだけど、

絶対に「こうなる」と決まってる運命なら、前もって知ることに意味がない。

 

「初夏に良い出会いがある」として。

出会うと決まっているのなら、たとえ家に完全こもりきりでも、

奇跡的な出会いがあることになる。

 

実際には、その状態で誰かと知り合える可能性は限りなく低くて、

その時期に、自分でも出会うことを意識して、出かけたりとかして、

その結果、出会う。みたいなことじゃないですか?
逆にいえば、「出会いたくないから、ひきこもる」という選択も、

できたほうがいいよね。本人が望むなら。
聞いてから、行動を変えられる自由があってこそ、「予測」の意味があると思う。

「予測不能」の要素も含まれた「予測」であってほしい。
とはいえ、じゃあ、何もかも、人間が、自分の意志で選べるのか?

というと、それもちょっと違いますね。
「信じれば必ず夢はかなう」とか、ポジティブ・シンカー的考え方だと、

夢がかなわないのは、信じる力が足りない、本人の責任となりますが。

本人の頑張りだけではどうにもならないことって、現実にあるし。
ほとんど誰だって、苦労せずに就職できたバブル期もあれば、

どんなに優秀でも、求人自体がない時代もあったりして、

誰もが多かれ少なかれ「時の運」に左右されている。
運命は定められている のか 自由意志が人生を作るのか

どっちかひとつに絞れるものじゃないんでしょうねぇ。

絡み合ってる上に「偶然のチカラ」が働いて。

 

カラーセラピーの流れの中でも、未来の話をしますけれど、

それは あくまでも可能性の話。

 

起きていることを受け入れられるようになる

プロジェクトの先頭に立って進められる

創造力を使って何らかの表現をする など

 

それを聞いて どうするのかは その人の自由です・・・